第6話 |
『口』 |
相手が喋っているときは口元を見てしまう。 「人の目を見て会話しなさい」と母親からよく叱られた。 「あんまりじっと見てくるな」と父親からよく叱られた。 口元を見るのはそういう家庭環境によるところが大きいと思う。 昼食に食べた唐揚げのカケラが右前歯の隣にはさまっているのも おかまいなしにケイコはしゃべり続けている。 少ししてカケラに気づいたのか舌で前歯をまさぐっている。 納得したのかまたしゃべり始めた。 唐揚げのカケラは取れていた。 が、さっきまでは無かったニラらしきものが下の歯にはさまっている。 「歯になにかはさっまているよ」 「はさっまている私より、はさまっていた私の方がいいってこと?」 言っている意味や質問の意図が分からなさすぎて 口の中で上下左右高速に舌を動かしている自分がいる。 ※フィクションです。 |
第5話 |
『英』 |
マスターのコーヒーに対する愛と覚悟が 店内を満たすコーヒーの香りに表れている。 そんなマスターとは違う覚悟でスマホ内の不要な 連絡先を削除するケイコが向かいにいる。 「エイジくんと久しく会ってないね」 「そういえばそうだね。」内心まだ“え”なの?って思ってしまった。 「よし、終わり。これで連絡帳がスッキリしたわ。」 「英二から早いね。まだ“え”じゃなかったの?」「エイジくんは“A”だよ。」 「アルファベットだと“E”じゃないの?」 「エイジくんのエイは英語の“A”って言ってたわよ。」 確かにこの紹介方法は一瞬分からなくなる気もするが 連絡帳に入れてしまうのがケイコの推進力の凄さだろう。 「実は英語の“英”だったんだよ。ややこしいよね。」 「初めて知ったわ。ずっとA二だと思ってた。」 何を言っても悪口になりそうなので微笑むだけにしておこう。 「英語って混ざってこない?雑草も昔は“THE草”と思っていたしね。」 ケイコはどうしてこんな平凡な僕と一緒にいるのだろう?と不思議にさせるときがある。 「今度A二くんとごはん行こうよ。」「いいね。」 「連絡するから番号教えて。」消しちゃったんだね。 ※フィクションです。 |
第4話 |
『影』 |
小学校の帰り道、影しか踏んではいけないという規則を 作っていたのはなぜなんだろう。今日が終わってしまう 寂しさにちょっとでも抵抗するための遅延行為なのだろうか。 陽も傾き影が伸びて障害物に当たると起き上がるオレンジの時間。 目的地は太陽なのかな?と勘違いしてしまうぐらい西日に向かって僕とケイコは歩いている。 「さっきからなんなの!」ケイコが棘を放った。 一緒にいるのに小学生時代にタイムスリップしていた僕に対しての叱咤と思い「ごめん」と言うと 「なんであなたが謝るのよ。あなたじゃなくて前を歩いている人よ!」 「あのカップルがどうかしたの?」ただ手を繋いでいるだけに見えるが。 「前の2人の影が私にまとわりついてくるのよ!私、影が当たるのが気持ち悪いの!」 避ければいいのにと言おうとしたがその隙も与えてくれないのがケイコだ。 「小学校の時どれだけ影に当たらずに帰れるかよくやったけど、逆に影だけ踏んで 帰るっていう愚行を繰り返す男子もいたわね。」西日が強烈になった気がする。 さっきごめんと言ったのはあながち間違いでもなかったようだ。 ※フィクションです。 |
第3話 |
『実』 |
「ねぇねぇ!この実ってひと枝に何個あるかな?」 今日もケイコはテンションが高い。 「100個ぐらいじゃない。」とあまり考えもせず僕は答えた。 「数字の質問された時に、安易に100を使う人は好きじゃないな。」 ケイコに否定的なことを言われて100と言ったことを後悔した。 タイムマシーンで戻って言い直したい気持ちだ。173個と。 「どんなにくだらないことでも真剣に向き合わないと楽しくないよ。 だって人生なんて、たった100年しかないもん。」 この100は決して安易に言ったわけではないと、僕は自分に言い聞かせた。 ※フィクションです。 |
第2話 |
『柱』 |
「ここによく似た場所に来たことがあるわ!」 すごく興奮してケイコが言った。 興奮しすぎてまばたきするのを忘れている。 ケイコは思い出すために柱をずっと眺めている。 まばたきは…まだしない。 僕はまばたきをしないケイコをずっと見守っている。 「思い出した!大学の時に行ったギリシャの神殿よ!」と まばたきをしなかった反動からか、目をつぶりながら言ってきた。 「名前はなんだっけなぁ」と言いながらまだつぶっている。 考える時は目をつぶるのか? 「そうだ!パルメザン神殿だわ!」 やっと目を開けてくれたケイコの目を見ながら微笑んだ。 パルテノン神殿だよ。ケイコ。 ※フィクションです。 |
第1話 |
『穴』 |
ひとりの女性が毎日この穴から出てくる。 雨の日も雪の日もこの穴から出てくる。 僕も穴から出てくる女性を通勤時毎日見ている。 「なぜこの穴から出てくるのですか?」と僕は聞いた。 「どんなことも続ければ習慣になるのよ。」と笑顔で答えた。 めんどくさい人だと思ったのが素直な気持ちだ。 これがケイコとの初めての会話だった。 初会話の数日後穴は塞がれた。 ※フィクションです。 |